緑の麻薬に魅せられて小林 八重子
趣味は?と聞かれるといささか戸惑いながら「お茶かな」と答えている。戸惑いはどこから来るのかなと考えると、弟子がいて、月謝なるものを頂戴していることに起因していると思う。
しかし、「お茶の先生」では生計が成り立たないし、弟子に「茶の道」を教授するほどの人格者でもない。茶を点てる手順を教えていると言った方が適切かもしれないし、逆に弟子に学ぶことが多いので、私の場合共育者かもしれない。
薬として、禅僧によって日本に伝わったお茶が「茶道」として大成したのは、千利休といわれている。
利休七則にそのことが凝縮されていて、その修練が茶道かもしれない。
利休七則とは?
1、 茶は服のよきように点て・・・・・
お茶の分量とお湯加減そしておいしく飲んでいただこうと思う心。2、 炭は湯の沸くように置き・・・・・
釜音がシュンシュンと「松風」をたてる温度が85度~90度といわれ、それを茶碗にいれると70度くらいになるので、この松風が鳴るように炭はつぐ。3、 花は野にあるように・・・・・
花の美しさと自然の生命をそのままに仏様に供える気持ちで一気に。4、 夏は涼しく冬暖かに・・・・・
相手を思いやると自然に夏は涼しげに感じられるものをとなるだろうし、冬も又しかり。5、 刻限は早めに・・・・・・・・
時間を大切に余裕をもってことにあたる、そうゆうことが、相手の時間も尊重することになる。6、 降らずとも傘の用意・・・・・
用意を怠らぬこと、用意さえ整っていれば思いがけない事が起こっても適切に対応できる。7、 相客に心せよ・・・・・・・・
お互いに相手を尊重し、理解する、茶室の中では人は全て平等である。
以上、当たり前のことばかりなのだが、どうしてどうしてこれが一筋縄ではいかないのだ。
第1になかなか刻限は守れないし、時間ぎりぎり、滑り込みセーフの生活ばかりだし、降らずとも傘の用意など全然出来ていない、臨機応変に次善の策をたてておけということなのだろうが、なかなか思うにまかせない。
(緑の麻薬)を飲んだ仲間と(足抜け)出来ないねと笑うが、出来ないことだらけだし、季節や人、そして道具によって一度として同じ場面がないから、続けられるのかもしれない、一期一会とはよくいったものだと思う。忙しい忙しいと言いながら、月を愛でる時期になると性懲りもなく、お客様を招き、酒を傾け、美味しいお茶を喫したくなる、まさに(緑の麻薬)である。
昔は1年を24に季節を分けていたというが、今は立春、立夏、立秋、立冬の四季となり、それでも1月1日(元旦)、3月3日(おひな様)、5月5日(端午)7月7日(棚機)9月9日(重陽)と節分は残っている。日本の美しい四季と昔ながらの慣習を意固地なまでに守っているのがお茶かもしれない総合生活文化(勝手に私が思っている)である茶道が、若い人達に引き継がれていきますように願っているこの頃です。
さて、ダラダラ文も終盤です。
○ 時々勤払拭(じじふっしきにつとむ)
人間生きていると、塵や埃が身につくので、それを払い拭くことをしなければならない
○ 無一物(むいちぶつ)
人間は生まれたときすでに無垢なのだから今さら惹くべき塵埃もない
どちらも茶掛けとしてよくかかる禅語ですが、皆様はどちらがお好きでしょう?
貴重なお時間おつきあい頂き、有難うございました。